人生は一冊の小説
ある人が、こんな言葉をくれました。
何度も読み返しているのでここに投稿しておきます。
「それぞれの人生は一冊の小説だ。
それがどれほど華やかであろうと、ささやかであろうと、他の誰のものでもない、たった一冊の物語なんだ。
誰かに評価される必要はない。
誰かと比べるものでもない。
なぜなら、その小説を書いているのは、自分自身だからだ。
もしも今、つらい章を読んでいるなら、それはクライマックスへの伏線かもしれない。
もしも今、退屈な章なら、それは次のページへの準備期間かもしれない。
大事なことは、最後までページをめくること。
そして、自分自身の手で、どんな結末を迎えたいかを、少しずつでも選んでいくことだ。」
この言葉を読んだとき、私は少し救われた気がしました。
人生は、誰かに評価されるためのものではない
誰かと比べて勝ち負けを決めるものでもない
自分自身が最後までページをめくっていくものなのだと。
何度も読み返しました。
若い頃には、人生というものをもっと軽率に考えていたような気がします。
努力すれば報われる。
真面目に生きていれば、いつか分かってもらえる。
一生懸命にやっていれば、きっと誰かが見ていてくれる。
もちろん、それも間違いではないのかもしれません。
でも、長く生きていると、そう簡単にはいかないこともたくさんあります。
思うようにならないこと。
分かってもらえないこと。
自分ではどうにもできないこと。
心の中で何度も折れそうになるようなこと。
それでも、人はその日その日を生きていくしかありません。
華やかな章ばかりではない。
誰かに褒められるような場面ばかりでもない。
むしろ、誰にも知られないところで、静かに耐えている時間のほうが長いのかもしれません。
けれど、その時間もまた、自分の物語の一部なのだと思いました。
つらかったこと。
遠回りしたこと。
泣きながら、それでも続けてきたこと。
何度も迷いながら、また音の前に戻ってきたこと。
それらは、決して無駄なページではなかったのだと思います。
音楽も、きっと同じなのかもしれません。
うまい、すごい、華やか。
そういう言葉の外側に、その人だけが歩いてきた時間があります。
音には、その人の生き方が出るのだと思います。
強さだけではなく、弱さも。
明るさだけではなく、寂しさも。
成功だけではなく、迷いや痛みも。
若い頃には出せなかった音が、年齢を重ねた今だからこそ出てくることがある。
苦しんだ時間や、耐えてきた時間が、いつの間にか音の深さになっていることがある。
だから私は、音楽をただ上手に演奏するためだけのものとは思っていません。
ハーモニカを吹くことは、私にとって、自分の物語をもう一度読み返すこと。そして、まだ終わっていない続きを、自分の音で少しずつ書いていくこと。
誰かと比べなくていい。
誰かに評価されるためだけに生きなくていい。
自分の人生は、自分だけの一冊の物語。
その中には、つらい章も、退屈な章も、
思いがけない不思議な章もあるのだと思います。
私はこれからも、途中で本を閉じずに、
少しずつでも、自分の手で続きを書いていきたいと思います。
そして、その途中にある音を、
これからもハーモニカで奏でていけたら...と思っています。
